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架空蹴球戦記:日本人民共和国(北日本)代表

サッカー日本人民共和国(サッカーにほんじんみんきょうわこくだいひょう)は、日本人民共和国蹴球協会によって編成されていた日本人民共和国の男子サッカーのナショナルチーム。愛称は極東の赤い稲妻。2019年2月から████が監督を務めていた。FIFAワールドカップに3度出場し最高成績はベスト8。アジアレベルのAFCアジアカップでは1度の優勝を記録している。

アジアサッカー連盟および東アジアサッカー連盟所属。ホームスタジアムは首都、札幌にある札幌競技場。

2020年の日本統一により日本国代表に吸収され現在は存在しない。

 

 

かつて使用されていた協会のエンブレム

 

統一前まで使用されていたユニフォーム

 

 

歴史

黎明期

1950年に建国された日本人民共和国であるがサッカー協会が設立されたのは52年のことである。FIFAには54年に加盟しAFCには55年に加盟した。

54年、58年、62年のワールドカップ予選には資金不足、国内情勢が不安定で参加できなかったが、状況が安定したことにより66年WC予選には参加することを決めた。

 

66年WCイングランド大会に向けて代表が結成されたのは1962年9月23日のことだった(WCメンバーの████によれば)、同日札幌の人民体育館にて最初の練習が行われた。対戦相手は専らソ連などの共産圏の代表チーム、クラブチームであり18試合ほど戦った。

 

1966年W杯ベスト8

FIFAワールドカップは1966年イングランド大会で初出場。予選の北朝鮮との試合は第三国のシンガポールで行われ、第1戦に4-0、第2戦に2-0と2勝して本大会出場を決めた。

本大会グループステージでは、初戦のボリビアには0-4で敗れたが、次のフランス戦には引き分け、強豪ハンガリー戦との最終戦では後半67分の███の得点で1-0で破り、アジア勢初勝利とグループリーグ突破のベスト8に入る活躍を見せた。

このベスト8進出は、現在でも伝説として世界でも語り継がれている。

当時のチームは、共産圏の代表、クラブと試合を行って強化され、運動量豊富で早さがあり技術的にも優れたチームであった。

 

準々決勝のイングランド戦で、日本人民共和国は、前半37分まで4-0とリードしながら、イングランドのスター選手であった████・███████の5得点で4-5でワールドカップレコードとなる大逆転負けを喫した。

 

「あの時私たちは攻撃しか知りませんでした。3点決めると、イングランドのキャプテンは全員に守らせたんだ。4点取られても守った。私たちはその意味が分からず、ずっと攻め続けました。すると運動量が落ちたところに███████のスピードにやられPKを与えてしまった。私たちは試合経験が決定的に不足していたのです。自分たちのやり方である攻撃的なサッカーしかできなかった」

- この試合で3得点を決めた████による試合後のコメント

 

この試合で長身フォワード███████にかき回された経験から長身選手をそろえるという強化方針に方針を変更した為、ベスト8進出の要因だった豊富な運動量、スピードが失われ弱体化につながった。

 

低迷期

1992年にはソ連出身の█████・██████が監督に就任したが、1994年メキシコ大会のアジア最終予選で韓国代表とプロリーグ創設で勢いに乗っていた日本国(南日本)代表に敗れ本大会出場を逃した。

この結果により最高指導者であった█████の怒りを買い出場を自粛(2010年ワールドカップ予選まで)することとなった。

 

だが本当は国内情勢の悪化でありサッカーどころではなくなってしまい、財政難に陥ってしまったことにより遠征費すら払えない状況に陥ってしまったのが理由であり長く低迷期が続くことになった。

 

国際舞台への復帰

長く予選に出場せず、試合も行わなかったことでFIFAランキングから除外されてしまうほどだったが11年に日本国代表と親善試合を行い約17年ぶりに国際舞台に復帰した。

しかし長年国際試合を経験していなかった選手たちはレベルの差に苦闘し結果を残すことはできなかった。

 

南北統一へ

2020年7月9日、外国への旅行自由化の政令が決議される。午後5時より北日本国内および世界向けに生放送された記者会見で決議されたばかりの政令を発表する。

しかし文書の詳細を知らされておらず議事の詳細を把握していなかった広報官█████は内容を勘違いし以下のように発言する。

 

█████:東京の壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる。

記者:いつから発令されるのか?

█████:直ちに遅滞なくです。

 

 

このような「勘違い」によって北東京市民が北南東京の境に設けられた検問所に殺到、東京の壁崩壊へと至り日本再統一に結び付いた。

 

統一により日本人民共和国代表は日本国代表に吸収され歴史を終えた。

問題は山積しているが日本国の優れた施設や育成システムにより旧日本人民共和国の選手への良い影響が期待される。

 

 

参考サイト

日本民主主義人民共和国 - アンサイクロペディア

https://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD#.E6.BB.85.E4.BA.A1.E3.81.A8.E5.8D.97.E5.8C.97.E7.B5.B1.E4.B8.80

 

ギュンター・シャボフスキー - Wikipedia

ja.wikipedia.org

 

サッカー朝鮮民主主義人民共和国 - Wikipedia

ja.wikipedia.org

 

サッカー日本代表 -Wikipedia

ja.wikipedia.org